História da Escola de Língua Japonesa de Taguatinga [沿革 えんかく] 2


História da Escola de Língua Japonesa de Taguatinga [沿革 えんかく]

タグアチンガ日本語学校の沿革

(「ブラジリア日本語普及協会10年史」64~66ページから抜粋)

1965~74 師範出の先生

風の強い寒い日だったと弓削瑞子さんは記憶している。1965年の多分6月のこと。自宅のある農場からトラックに乗せてもらって「ブラジリア日伯文化協会日語学校」の開校式に向かった。学校はタグアチンガとヌクレオ・バンデランテスの2か所にあり、同時に開校した。

教室はどちらも文協の会館の中にあった。当初は文協の支部ごとに学校を作る計画だったという。当時、ブラジリア市内(プラノ・ピロット)に日系人はごく少なく、会員子弟の集まりやすい衛星都市2か所にまず学校ができた。

弓削さんは、夫が文協の書記になったことや、弓削さん自身が師範学校を出て宮崎県の尋常小学校などで8年間の教職歴があったことから「しばらくでい いから」と初代の教師を頼み込まれた。土曜にヌクレオで100人余りに、日曜にはタグアチンガで約80人に、ひとりで2時間ずつ教えた。生徒の大半が2世 だった。

2年目からは女性2人が教師陣に加わった。

最初の2、3年は教科書がなく、ひらがなを教えるのに、たとえば黒板に花の絵を描いてから「はな」と書いて覚えさせた。「小学校1年生への教え方で授業をした」という。

合唱の練習もした。楽器がないので「口移し」で「荒城の月」や「さくらさくら」を歌わせた。家で歌えば親も思い出せる曲を選んだ。学芸会もしたという。

しかし弓削さんは家業の農業が忙しくなったこともあり、ヌクレオは2年半で、タグアチンガも6年務めて70年に教壇を去った。

「6年間ずっと来てくれた子も多かった。生徒たちは教室では日本語を話そうとしてた。日本語が嫌いにならないよう、押しつけないようにしました。日本人という意識をなくして欲しくなかった」。弓削さんはそう振り返る。

弓削さんの後も学校は引き続き運営されたが、文協の分裂を経て通う生徒が減り、ヌクレオは70年代に入るまでに閉校となり、タグアチンガも73年末には生徒が17人になり、翌74年7月には休校となった。

★1975~89 手弁当で日曜学校開く

タグアチンガでは75年2月、前年まで文協の学務委員だった三分一正季さんが責任を感じて竹前龍一さんと日曜学校を始めた。2人は手弁当で教え、授 業料は無料だった。読み物教材を世界名作選から引用してガリ版で印刷したりした。生徒数は50~80人。三分一さんらによる日曜学校は3年間続いた。

78年からは文協が新しく採用した教師3人により学校が続けられた。生徒75人が通ってきたという。81年からは教師の入れ替わりが数回あり、生徒数は10~20数人に減少した。特に85年には授業料を取るようになったこともあって、生徒数が6人になってしまった。

日本語である程度会話できる生徒の割合は、開校当初には約8割だったが、このころには3割強になっていたという。出稼ぎを背景にした日本語学習ブー ムも起きる前で、日本語学習が非常に難しい局面に置かれていた。そうした状況下で、すでに私塾「日語育成会」を主宰していた三分一貴美子さんが頼まれてタ グアチンガ校の教壇にも立つことになった。86年2月のことだ。授業はそれまで日曜だったが、2年目から土曜に切り替えた。

87年、三分一さんはJICAの日本語教師本邦研修制度(3か月コース)により訪日した。

ブラジリア地区からは初めての参加だった。同制度ではブラジリアからも翌年から毎年派遣が続くようになる。

1990~98 独立採算制に

90年1月の文協総合役員会で、日本語学校の運営を独立採算制とすることが決まった。文協との協力関係を維持しつつ学校運営の独自性を保てるよう に、との配慮だった。校名も「タグアチンガ日本語学校」と改め、校長職が置かれるようになった。初代校長には三分一貴美子さんが就任した。

90年2月からは成人クラスを新設した。

93年には三分一さんが主宰する日語育成会と合体した。以後、会館と三分一さんの自宅の2か所が教室となり、週日の授業が始まった。

同年11月には第1回の「学習運動会」を開いた。生徒たちは学習レベルに分かれて語彙や書き順の知識を競いながら走る「競技」に出場する。生徒は文 房具や菓子といった賞品が楽しみだ。親が参加するリレー競技もある。学習の励みにすると同時に、大人にも日本語学校の様子を知ってもらおうという趣旨で、 「母の日」の学習発表会とともに恒例行事になっている。

一方、教師養成を視野に入れた学校経営も続けられた。「若い世代や生徒の親に教師になるよう働きかけ、まず実習生や助手を経験してもらってきた」と 三分一さん。現在、三分一さん を含めタグアチンガ校の教員4人がブラジリア日本語モデル校でも教べんをとる。またモデル校の矢田正江さんも最初に教壇に立ったのはタグアチンガ校だ。 「タグアチンガ校の養成が地域への最たる貢献」と三分一さんは胸を張る。

95年、三分一さんに代わって佐藤邦子さんが校長になった。またこの年からブラジリアで日本語能力試験の受験が可能になり、タグアチンガ校から34人が受験した。能力試験が学習目標のひとつと位置づけられるようになった。

タグアチンガ日本語学校校歌

1、青い空と地平線

新しい都ブラジリア

希望に燃える私たち

明日に向かって学びます

われらのタグアチンガ日本語学校

2、輝く朝日パラノア湖

高原の都ブラジリア

未来を築く私たち

明日に向かって励みます

われらのタグアチンガ日本語学校

3、鐘の音響くビルの町

伸びゆく都ブラジリア

幸せ願う私たち

明日に向かって祈ります

われらのタグアチンガ日本語学校

1998~99 地域に根ざした学校

土曜の午後、文協の会館の2階が子どもたちの声でにぎやかになる。広間をはさんで左右に3部屋ずつ教室がある。1時半には広間に全員が集合し、「起 立」の号令であいさつをし、校歌を合唱する。校歌は三分一貴美子さんの作詞。97年から授業の前に必ず歌っている。貴美子さんの娘、翠アンジェラさんが指 揮をする。

歌の後、広間では幼稚部が、6つの教室では学習レベルで4~6人に分かれたクラスが一斉に授業を始める。かなの読み方を練習している初級クラス、書き取りをしている基礎クラス、

朗読している中級クラスLという具合。

幼稚部は3~5歳の3世や混血の4人が在籍している。ぬり絵や切り張り、手洗いや後かたづけ、あいさつなどしつけも教える。指導するのは元開発青年 の野中真茶子さん。ブラジリア周辺で単独の幼稚部があるのはここだけだ。幼い時から日本語に親しみ、習い続けて欲しいとの願いも込めて授業料は半額になっ ている。

授業が終わって3時半からまたみんなで歌の練習をする。合唱は98年から始めた「七夕祭」でも披露する。

七夕祭には保護者や老人会の高齢者を招待し、「七夕さま」を歌ったり、生徒が日本語で会場の参加者にインタビューしたりする。日本の風習を体験させると同時に、お年寄りとの交流によって生徒たちに日本語を使う場を与えるとの意図もある。

「タグアチンガ日本語学校には長い歴史があります。時代も変わり、生徒の質も変わってきている昨今だが、世界に誇る日本の文化、精神を伝えていくには、どうしても日本語を学ばせることが必要と思っています」

今年の七夕祭で佐藤さんは、そうあいさつした。 (宮沢)

日本語教育の現状と今後の展望

校長 佐藤邦子

私は1993年からこの学校で教え始めました。当時の授業は週1回土曜の午後2時から5時までで、途中に休み時間と音楽の時間がそれぞれ15分ありました。教師は6名でした。

授業の内容は、教科書「一、二、三、にほんごではなしましょう」に沿った読み書き、そして漢字の指導に重点を置いていました。三分一先生と相談しながら副教材の掛図を作ったりして教えました。

教えているうちに週1回の授業では時間的に少ないとわかり、希望する生徒を週2回教えることにしました。1回の授業時間が1時間半です。教科書は橿 本洋子先生の「きそにほんご」を使うようになりました。絵がたくさんあり、漢字の書き順も詳しく、生徒が自習しやすくできています。そのほか日本語会話の 勉強を希望する成人クラスでは「日本語会話ブック」を使用しています。

95年からブラジリアでも日本語能力試験を受けられるようになりました。当校の受験生の合格率は60%となっています。今後もこの試験を生徒たちの勉強の目標として指導していく方針です。

また88年から「母の日」の学習発表会を毎年開いてきましたが、98年からは代わりに「七夕祭り」を始めました。93年から続いている「学習運動会」も恒例になっています。

現在では生徒の質も変わってきて、家庭で日本語を話さないので、生徒の日本語に対する理解力がなく、外国語として教える方向に向くのではないかと思います。これからの日本語教師は常に新しい教授法を研究していくことが望まれると思います。

もっと教師の待遇をよくして、若い教師も大勢育って欲しいと思います。そうして日系人子弟に日本語を学ぶ必要性を自覚させながら、私も日本語教育に全力を尽くしていきたいと思っています。


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